僕は幼少期、鎌倉市大町4丁目というところで育ちました。
というのも生れは東京都で8か月目で鎌倉に来たそうです。当然、その頃の記憶は全くなく生粋の鎌倉っ子だと思いこんでましたよ。
こどものころは「ここは都会だなって」勝手に思っていました。外の世界を知らないから当然ですな。
内弁慶なガキンチョでした、きっと今でもですけれど。
こどものころよく遊んでいた大町の話。
大町は周りが山でちょっとジャングルチックなところです。僕の家も山の上で庭を上ると、妙法寺(通称こけでら)、このお寺の借地に住んでいたんです。
庭には夏みかん、びわの木、ゆずの木、柿の木、シソやつくし、ふきのとうとかみょうがとかいろんなものが勝手に生えてきました。
ヘビとかげじげじ、ムカデ、クマン蜂の巣もよく出たな。
そんな大町の奥に浄妙寺につながる「釈迦堂切通し」があるんです。
その昔、鎌倉幕府から海まで行くために造られた切通し(トンネル)と言われ、夕方通ると薄気味悪く落ち武者が仁王立ちしていたとか怖いうわさがありました。
当時は車が通れておばあちゃんちに行く近道でチャリで超ダッシュして走り抜けていました。
そんなある日がけが崩れて車両通行止め、数年後また崩れて通行止めになったそうです。
切通しの中には石碑のようなものがあり観光客も良く来ていたのに残念です。
そう言えばおばあちゃんちの帰り道、補助輪付自転車に乗り始めたころ釈迦堂出口の坂の上で父親に後ろを抑えてもらっていたことを思い出しました。
僕の遠い記憶ですが、子供ながら「はなして~」と言ったら父親がつかんでいたその手を離し急坂を真っ逆さまに転げ落ちた記憶が。
こどものころ保険金かけられてなかったよな?
落ち武者のたたりか!
これからちょいちょい鎌倉ネタを書いていきます。